はいさい!知念です。
昭和59年生まれの僕たち世代にとって北谷の美浜アメリカンビレッジや砂辺地区はとても思い入れのある場所です。
青春時代を北谷で過ごした僕ら同世代は多いんじゃないかな。
そこで今回は、うちなーんちゅから見た北谷の美浜アメリカンビレッジや砂辺のイメージや思い出を書いてみたいと思いますので、ゆたしくどーぞ。
目次
アメリカンビレッジの歴史
1981年(昭和56年)にハンビー飛行場が返還され、開発がスタート。
海沿いにアラハビーチなどの公園を整備、通り沿いには専門店や飲食店、そして中心街にショッピングセンターが立地していきます。

古着といえば北谷
中学生ごろから近所以外の街に遠出ができるようになって、初めて友達と北谷に行った時は古着のお店がいっぱいあるイメージだった。
お年玉を握りしめて北谷で古着買うのが僕ら世代の定番。
北谷に行くバスの本数が少なくて、中心街的なアメリカンデポもまだ開発中だったから、とにかく歩かないといけないのがキツかった思い出がある。

結構乗せてくれる人多かったけどなぁ。
ナイトマーケットでフリマが流行る
僕たちが高校生の頃、だいたい2000年ごろの北谷ブームは「フリマ」。
58号線から1本入ったナイトマーケットの道沿いでみんな自由にフリマをしていたw(今は許可が必要なんだろうけど。。。)
週末の夕方から始まるフリマにみんなで繰り出して、パーラーでホットドッグ食べて、一点モノの古着や雑貨を見つける。
そして、金がなくなったらテトラポットの海沿いでただしゃべって帰るのが本当に楽しかった。
今でもテトラポットの海沿いでバイク止めてダベってる若者は多いよね。やっぱりみんな同じなんだなぁって思う。
若者が集うストリートの街
フリマが流行りだした頃から北谷の観覧車やミハマ7プレックスがデートスポットで人気になり、那覇に行くよりも北谷に行く周りの同級生が増えた。
学校で「北谷でデートした」って話すのが一つのステータスだったような。
そして、観覧車前のスペースでストリートライブやストリートダンスをする同世代が増えていく。
安室奈美恵やMAX、SPEED、DA PAMPなどの沖縄出身アーティストが大人気だったけれど、ほとんどがアクターズスクールから全国デビューしていた。
どちらかというと那覇から全国デビューのルートが鉄板だったが、ストリート出身のモンパチやHY、オレンジレンジは新しい形だった。
地元うちなーんちゅが応援して人気のあるアーティストが、全国でも売れていくことにとても近い存在として愛されている理由なんだと思う。
HYのストリートライブ
毎週末、北谷の観覧車前でバンドやダンサーがストリートライブするなか、とんでもない人を集め、一気にスターダムを駆け上がったのがHYだ。
当時、口コミで同世代に人気が拡散したHY。美浜の観覧車前でストリートライブしているすごい人気のバンドがいるらしい。
そんな噂が聞こえてきて、無料で観れるし、盛り上がるらしいから行ってみようかとみんなで行ったら、とんなでもない人だかりで曲が始まると盛り上がり方がハンパなかった。
帰り道、みんなで興奮しながら「あのバンドは絶対全国で売れるな!」と話していたのを覚えてる。
その後は、みんなの知っている通りの活躍で数々のヒット曲で有名なったが、今でも沖縄を拠点に活動している地元好きなところやたまにゲリラライブするラフな感じがとても好きでずっとHYファンのうちなーんちゅは多い。
こんな近くで見れるなんて(*゚▽゚*)#HY ありがとー! pic.twitter.com/S9MAik1nao
— chinen (@chinen_okinawa) 2018年7月6日
トレンドの街「北谷」
僕ら世代だけではなく、うちなーんちゅにとっての北谷はトレンドを作ってきた街というのが一番しっくりくると思う。
人気アーティストが生まれたり、デートスポットだったり、今はリゾート感たっぷりの有名観光地だったり。
那覇とは違うオシャレさがあって、うちなーんちゅに人気が高いのは北谷だと僕は思う。
これからもっと開発が進むらしいけど、昔ながらの北谷の雰囲気も残しつつ、また新しいトレンドが生まれたらいいな。
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